私のような門外漢が、独学・自己流でルネッサンス・フルートを始める場合は、形から入りた
いところですが、まず本質を探求することに努めました。そして、通常演奏されているテナー
ではなく、マイナーなディスカント・ルネッサンス・フルートに心惹かれて演奏しています。

- 長谷川景光 -


 長谷川景光   平安楽舎   平安歌謡藤家流   トーナリアの法則 



ルネッサンス・フルートを始めてから、ちょうど1カ月経ちましたので試 
しに録ってみました。John Dowland : Fortune My Foe (2023/07/29)





◆ルネッサンス・フルートのバイブル◆

 上掲画像の書籍『フルートの肖像 その歴史的変遷』(東京書籍刊)は、著者の前田りり子氏が、2020年8月に当方の門を叩いた折、恵贈していただいたものです。前田氏は斯界の第一人者であり、国内だけでなく世界的に活躍されています。
 言わば子弟転倒となりますが、本書が私にとってルネッサンス・フルートのバイブルとなっています。
 まず、ルネッサンスについて再認識するため、本書の「ルネッサンスとは」の項を引用します。
 「ルネッサンスは「再生」を意味し、芸術の分野では中世カトリック教会の権威のもとで長らく忘れ去られていたギリシャやローマの古典文化の価値を再発見し、古典の研究と復興を通じて人間の品性を高めようとした文化運動を指します。14世紀のイタリアに興り、16世紀までの間にフランスやドイツへと拡がっていきました。」
「神とともに生きていた中世の人々の行動基準は、神の代理を任ずる教会の教えにありました。しかし人文主義者と呼ばれるルネッサンスの人々は、何ものにもとらわれない自分自身の目と心で物事を見つめ、考えようとしました。宗教を否定したわけではありませんが、来世のために禁欲的で徳の高い一生を送るのではなく、まず現世の生活を楽しみ、個性を自由に発揮させようとする気風の中で、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする数々の偉大な芸術家が生まれました。このような時代の中で、フルートはどのように使われていたのでしょうか。」(P.24)



◆ルネッサンス・フルートとは◆

 ルネッサンス・フルートは、古楽器の中でも知名度が低いように思えますが、具体的にルネッサンス・フルートとは何かについて、前田氏は前掲書の「室内楽の横笛」の項において、次のように書かれています。
 「16世紀に入ると、横笛は爆発的な人気を得たようで、現存する資料の数は急激に増加していきます。フルートの社会的役割も明確になり、野外楽器としての「ファイフ」と、アマチュアが室内楽を楽しむための「フルート」に分離していきます。(中略)1619年に出版されたミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius, 1571-1621)の著した『音楽大全』の図版には、右端が軍隊用の楽器、左の3本が室内楽用の楽器と、はっきり明記されており、遅くとも17世紀はじめには2種類のフルートが完全に区別されていたことがわかります。」
 「当時行われていた室内楽には「同属楽器のコンソート」と「混合楽器のコンソート」という2つの形態がありました。当時の楽器の多くには3種類以上のサイズがあり、サイズの異なる同属楽器のみでアンサンブルを行うのが前者、色々な楽器を組み合わせて演奏するのが後者でした。フルートにもディスカント(ソプラノ)、テナー、バスという3種類の楽器がありました。」(P.29)
 そして、上掲画像が、『音楽大全』におけるルネッサンス期の縦笛・横笛などの絵図です。
 前田氏は、前掲書の「室内楽の横笛」の項において、次のように書かれています。
 「プレトリウスの図の中では、左端がA管のディスカント、次がD管のテナー/アルト、その右がG管のバスです。」(P29-30)
 このように、前掲のプレトリウスの図には、3管にA、D、Gの調律が明確に示されています。
 言うまでもなく、ルネッサンス・フルートというのは後世の呼称であり、プレトリウスの図では、Querflöiten / ganz Stimmerkと書かれています。Querflöitenはドイツ語の古語で、Querの意は「横向きで」「横切って」であり、flöitenの意は「笛」「ホイッスル」ですので、Querflöitenの意は横笛です。同じく古語であるStimmerkですが、現代ドイツ語でStimmerは楽器の調律師を意味することからも分かるように、Stimmerkは「調律された楽器」の意であると推定しました。つまり、「横笛/全ての調律された楽器」と書かれていますので、プレトリウスが『音楽大全』を著した1619年のドイツにおける全ての調律されたルネッサンス・フルートは、ディスカントがA管、テナー/アルトがD管、バスがG管ということになります。




マルティン・アグリコラ著『ドイツの楽器』より

◆ディスカント・ルネッサンス・フルートの謎◆

 一方、ケイト・クラーク氏(Kate Clark)、アマンダ・マークウィック氏(Amanda Markwick)の共著となるルネッサンス・フルートの教則本『The Renaissance Flute/A Contemporary Guide』(Oxford University Press刊)における序章の「ルネサンス・フルートの状況 - 過去と現在」の項では、次のように書かれています。
 「数々の資料から明らかなように、16世紀から17世紀にかけて、フルートはコンソート楽器(拙注:共に演奏する類似の楽器群)として考えられていました。言い換えれば、フルートは3つの異なる長さからなる "ファミリー(拙注:異音域同形楽器) "で形成されていたのです:バス・フルートはG管、テナー/アルト・フルートはD管、そしてソプラノ・フルート(拙注:ディスカント・フルートに同じ)は主にA管ですが、少なくとも17世紀に入る頃には、最も小さなフルートもG管で作られるようになっていた証拠があります。それは、同時期を通じて、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、リュート、その他の楽器も同様に、組み合わせやファミリーで作られていたということです。」(拙訳)
 このように、ディスカント・ルネッサンス・フルートがA管なのかG管なのか、それとも両方なのかという謎が露呈します。
 さて、『音楽大全』の出版から遡ること約1世紀となる1529年に、同じくドイツで出版されたのが『ドイツの楽器(Musica instrumentalis deudsch)』です。音楽理論家・作曲家のマルティン・アグリコラ(1486-1556)が著しました。上掲の図は、この『ドイツの楽器』に掲載されているルネッサンス・フルートで、「スイスの笛(Dier Schweitzer Pfeiffen)」と題され、下の長い(低音の)笛からBassus、Tenor、Altus、Discantusと記されています。
 上記のクラーク氏マークウィック氏の記述から類推すれば、この図における音域の低いバスがG管、その次のテナーがD管、その次がアルトでA管、そして最も音域が高いディスカントをG管と考えるのが妥当なのではないでしょうか。そこで、これを「スイスの笛の仮説」と位置づけます。
 『ドイツの楽器』にはルネッサンス・フルート各管の調律、運指、その音を出す息の速度などが示されており、バスはD管、ディスカントはE管、そしてテナーとアルトは下掲の図にあるように、Unissonusとされ、またA管であることだけが示されています。

  

 この図こそが、後世に亘って誤解を生じさせる問題の記載なのです。それ故に、前田氏もクラーク氏マークウィック氏の両氏もD管がテナー/アルトと位置づけているのだと思います。しかし、同書の「スイスの笛」の図では、テナーよりアルトが少しだけ短く描かれおり、理論的にもテナーとアルトが同音であるなどということはあり得ません。
 まず、この図の右側は、1ページ目のバス、2ページ目のテナー/アルト、3ページ目のディスカント共にVent、すなわち「息の排出」と書かれています。その左側には、上掲の図ではmediocri、すなわち「平凡な」「普通の」速度で吹くように指示しています。
 すると、本来は息の排出、速度の覧にTen、Altの略記があるので、AとDを線で括っていることに特別の意味があることが分かります。
 そして、最後の問題がUnissonusという言葉なのですが、これはユニゾン、すなわち同音の意ではないことに気付いたのです。これは、ラテン語のunissonusが「一致」または「調和」を意味することから、後者の調和と捉えるとAとDは完全4度の関係にあり、まさに調和するインターバルとなります。
 これらの考察に基づき、テナーがA管、アルトがD管と本書では位置づけられているとの結論に至りました。その結果、バスのD管より5度高いのがテナーのA管。テナーより4度高いのがアルトのD管。アルトより2度高いのがディスカントのE管という独自の見解を導き出しました。
 この見解が間違っているとしても、ルネッサンス・フルートは、この約1世紀の間に4管が3管に。またこの記載が正しければ調も大きく変化したことになります。
 さらに、前田氏は前掲書の「現存するルネッサンス・フルート」の項で、以下のように書かれています。
 「現在残されているルネッサンス・フルートは全世界にたったの45本程度しかありません。約30センチから90センチまで、さまざまな長さのものがありますが、大きくはディスカント、テナー、バス、という3種類のサイズに分けることができます。現代のフルートより5度ほど高いディスカント・フルートは、残念ながらブリュッセルの博物館に1本しか残っていません。といっても、その楽器はもしかしたら19世紀に作られたものかもしれないうえに、現在紛失中ということで、その真偽は明らかになっていません。」(P36-37)
 このように、当時のディスカント・ルネッサンス・フルートが存在しない上に、『ドイツの楽器』ではE管、『音楽大全』ではA管、「スイスの笛の仮説」ではG管となり、謎は深まるばかりです。
 ところで、クラーク氏マークウィック氏は、ウェブサイト「Renaissance and Baroque Musical Instruments」に「An Introduction to the Renaissance Flute」と題し、次のようにも記しています。
 「D調のテナー・ルネサンス・フルートは、16世紀のほぼすべての楽曲のソプラノ、アルト、テノールの音域をカバーすることができるため、最も汎用性の高いフルートです。Gのバス・フルートはフルート・コンソートを完成させますが、AまたはGのデスカント・フルート(拙注:ディスカント・フルートに同じ)の明るい色彩を加えると、陽気な性格に大いに貢献できるのです。(ダンス音楽や軽快なシャンソンなどでは特に素晴らしい)」(拙訳)
 この「AまたはGのデスカント・フルート」であれば、『音楽大全』、及び「スイスの笛の仮説」と一致するのです。
 では、現代のドイツにおいて、ルネッサンス・フルートがどのようにカテゴライズさられているのかというと、下掲画像のクリストフ・ハマン(Christoph Hammann)氏の作品では、ソプラノがD管、アルトがG管となっているのです。


上がクリストフ・ハマン作プレトリウス・モデルのソプラノ・ルネッサンス・フルート。下がアルト・ルネッサンス・フルート。(私用管)





◆ディスカント・ルネッサンス・フルートに惹かれたのは◆

 CDの購入者、リスナーからは、私が龍笛の演奏者として位置づけられていると感じることがあります。
 もし、私が演奏者であるとすれば、それは雅楽のということになるのですが、雅楽においては横笛だけでなく大篳篥の演奏者として、また絃楽器、打楽器の演奏者として、さらに舞も歌もテリトリーに入れています。
 そして、雅楽の横笛には龍笛だけでなく、高麗笛(こまぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)、そして廃れてしまった東遊笛(あずまあそびぶえ)の4種類があり、その内、最も貴重で崇高な楽器、それが神楽笛であると私は考えています。神楽笛は、現行雅楽では神と語らう笛であり、平安時代には神と遊ぶ神遊びの笛と位置づけられていましたが、現行雅楽とは全く異なる平安時代の神楽笛譜も現存しています。
 ところで、最も誤解され易いのが雅楽の神楽です。雅楽の神楽は御神楽(みかぐら)とも称されるのですが、これは認知度の高い御神楽(おかぐら)との差別化を図った呼称です。前者は神に捧げる神向性の儀式のための芸能であり、後者は大衆に見せる民向性の芸能であって、全く異なる存在なのです。
 さて、中国をルーツとする唐楽の笛である龍笛は七孔(指穴が7つ)なのに対し、日本古来の神楽笛は六孔です。
 上掲の画像をご覧いただければ分かるように、ディスカント・ルネッサンス・フルートも六孔であり、大きさも大凡同じです。そして、六孔であることは、横笛属のプロトタイプ、すなわち原初的形状であることから、両者の相関性を見出したいところなのですが、今のところ残念ながら一掬たりとも探り当てることはできていません。





◆両管の大きな相違点とピッチ◆

 ディスカント・ルネッサンス・フルートと雅楽神楽笛との違いは枚挙にいとまが無いのですが・・・。日欧の発祥地域から始まり、歴史、音楽ジャンル、楽譜、律(ピッチ)、そして形状といったように。
 形状において最も大きな違いは、歌口の大きさではないでしょうか。正確に計測し、面積を比較すると上掲画像の両管では、ちょうど1:4、つまり4倍も雅楽神楽笛の方が面積が広いのです。
 ところが、これは現在の雅楽神楽笛だからであり、例えば正倉院に納められている龍笛の原形は、巻(まき:籐や桜の樹皮である樺を巻く)も施されておらず歌口も小さいのです。ですので、両管の関係性を見出すことに、まだ一縷の望みを抱いています。
 さて、このディスカント・ルネッサンス・フルートは、これまで手に取ったどの横笛よりも歌口が小さく、スイート・スポットに息を当てる、アパチュアを体得するのが難しい楽器でした。因みにテナー管より、ディスカント管の方が歌口が小さく、その分、鳴らすのが難しいと感じました。
 ところで、現在では雅楽のピッチがA=430Hzとされているのですが、画像の雅楽神楽笛の製作者である八幡頼之氏から、伊勢納め(伊勢神宮納品)は430Hz、宮内庁納めはそれより低めであることを教えていただきました。
 このように、雅楽では430Hzが基準ですので、併用して演奏できるようにクラシカル・ピッチ430Hzのテナー・ルネッサンス・フルートを国内製作していただいたのが、この世界に足を踏み入れた第一歩でした。
 そして、上掲画像のディスカント・ルネッサンス・フルートは、イギリスのバーバラ・スタンレー(Barbara Stanley)氏作なのですが、私が吹くと443Hz前後です。
 ヴァイオリニストの廣津留すみれ氏は「ヨーロッパは少し高めの443Hz(場所によっては444Hz)が多い」と書かれていましたので、このディスカント・ルネッサンス・フルートは、ユーロ仕様のモダン・ピッチなのだと、都合良く考えています。





◆スタンレー氏の運指表◆

 上掲画像は、スタンレー氏のルネッサンス・フルートに添えられている運指表「Barbara Stanley/Flute fingering chart/Tenor in D 」です。
 残念ながら、Discant in Aの運指表は作られておらず、バス、テナー、ディスカント兼用ということになります。
 因みに、書かれている住所にはお住まいではなく、現在はケンブリッジに住んでらっしゃいます。
 楽器製作に関しては、故グラハム・リンドン・ジョーンズ(Graham Lyndon-Jones)氏との共作から始まり、後に単独での製作に取り組まれました。ジョーンズ氏との共著『The Curtal』(1983)もあります。





◆スタンレー氏作ディスカント・ルネッサンス・フルートのための運指表◆

 雅楽の横笛は、竹の管に穴を開け、割れを防止するために9または10箇所に籐や樺を巻いてあります。この巻が美しく装飾的でもあり、またフルートで言うヘッド(雅楽では江戸時代まで「尾」と位置づけられていた。)に金襴を施しています。
 これに見慣れている私にとっては、現代のフルートが総数140個とも言われる部品で組み立てられており、金属製のメカニカル・マシーンのようにも見えてしまいます。
 一方、ルネッサンス・フルートは、木に穴を開けただけの工作で、一切の装飾が施されていないシンプルな構造であるがために、逆にプラトン的な美しさと優雅さを感じてしまいます。(「文章にしろ、和音にしろ、リズムにしろ、美しく優雅なもの、優れたものはすべて、シンプルである。」プラトン)
 しかし、指穴が6つだけであることなどから、派生音の吹奏が複雑かつ困難であるだけでなく、オクターブ音ですら異なる運指を用いることが多いのです。
 前田氏は、前掲書の「内径と管厚」の項で、次のように書かれています。
 「フルートの音色、バランスなどを決める上で重要な内径は(ルネッサンス・フルートも)現代のフルートと同じくほぼ円筒形で、18世紀に主流となる円錐形のバロック・フルートとは大きな違いがあります。完全に円筒形のフルートは、オクターブの音程をうまくとることができません。」(P.38)
 さて、前述のとおり、スタンレー氏のDiscant in Aの運指表は作られておらず、というよりスタンレー氏に限らず、多くはTenor in Dの運指表を流用されているようです。
 そこで、既存の6種類のルネッサンス・フルートに関する運指表を検証した上で、スタンレー氏のDiscant in Aの運指を考査してみました。
 まず、前掲の「Barbara Stanley/Flute fingering chart/Tenor in D 」をそのまま引用し、これを「Stanley's Fingering」の1と2に記入し、3の「Other's Fingering」には検証した他者の異なる運指を加えました。
 さらに、4の「Invented Fingering」には、所有してるスタンレー氏作のディスカント・ルネッサンス・フルートの演奏から得られた独自の運指を記入しています。




◆天使の親指◆

 この絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452-1519)の会派に所属した北イタリアの画家ベルナルディーノ・ルイーニ(Bernardino Luini, 1480/1482-1532)作で、「フルートを演奏する子供天使(Child Angel Playing a Flute)」と題され、1500年頃に描かれたものです。
 この絵で、私が注目しているのは左手の親指です。
 ルネッサンス・フルートを奏する姿を描いた絵において、左手の親指はモダン・フルートを奏するのと同様に、人差指より内側に当てられ、前からは見えないため描かれないことが多いのです。
 14世紀から15世紀のイタリアで興ったルネッサンス運動ですが、この絵はまさにルネッサンス期の横笛を演奏する姿が描かれたのもであり、左手の親指が外側に当てられているのです。
 私は和式、洋式などと位置づけていましたが、日本の横笛属である雅楽横笛、能管、篠笛などは、左手の親指を外側に当てるのに対し、洋楽のフルート属は古楽においても内側に当てます。
 左手の親指を内側に当てることにより、左手の人差指他は指穴に対して斜めから塞ぐ不自然さを生じるだけでなく、人間工学的見地から体に負荷がかかることも分かっています。
 ということで、私は左手の親指を外側に当ててルネッサンス・フルートを演奏しています。もとより、ルネッサンスの精神は自由と個性を尊重することですので、私は和式のままです。
 そして、なぜ左手の親指を外側に当てるのだと尋ねられたら、これは「天使の親指です」と答えることにしています。





◆手入れに用いる油◆

 ウンツィオネ(unzione)はイタリア語で、その意は第一に油を塗ること、注ぐことであり、第二にはカトリックの儀式において油を塗ることです。そして、英語の同義語はアノインティング(anointing)です。ちなみに、英語でオイリング(oiling)は石油汚染を意味しますが、木製管楽器の手入れに油を塗ることも、オイリングの用語が通用しているようです。
 私は雅楽人ですので、ここでは敢えて日本語の塗油(とゆ)と表現することにします。
 さて、クラーク氏マークウィック氏の前掲書では「フルートの塗油(Oiling the Flute)」の項で、次のように書かれています。
 「私たちは、アーモンド油と亜麻仁油のどちらも使用し、場合によっては両方を組み合わせて使用します。」(拙訳)
 このように、古楽に用いられる木製管楽器の塗油には、アーモンドオイルが用いられることが多いようです。しかし、リコーダー製作者として2006年に優秀楽器製作者賞を受賞した ヴァンサン・ベルノラン氏は、自身のウェブサイトで、「アーモンドオイルの使用もよく聞きますが、以下の要素からあまりお勧めしません:酸化し易く、匂いもきつく、長い間の使用によって凝固し易い」と書かれています。(亜麻仁油は、アーモンドオイル以上に酸化し易く、凝固し易いです。)
 このように、アーモンドオイルの使用には賛否両論があります。そこで、化学的見地から塗油にはどのような油が相応しいかを考察してみます。
 以下は、アロマテラピー検定のテキストなどを参考にしてまとめたものです。

1.油の分類
 油には、乾性油、半乾性油、不乾性油の3種類があり、ヨウ素価によって分類されます。
2.ヨウ素価
 ヨウ素価は、油脂100gに付加するヨウ素のグラム数であり、ヨウ素価が高いほど二重結合が多い不飽和脂肪酸を多く含有します。
3.乾性油
 乾性油は、ヨウ素価130以上であり、空気中に放置すると酸化して固形化します。
 乾性油の種類としては、グレープシードオイル、ククイナッツ油、月見草油、ローズヒップオイル、亜麻仁油、エゴマ油、桐油などです。
4.半乾性油
 半乾性油は、ヨウ素価100~130であり、空気中で反応はするが完全には固まりません。
 半乾性油の種類としては、ウィードジャムオイル、アーモンドオイル、セサミオイル、大豆油、コーン油、綿実油、ヒマワリ油、ベニバナ油、マスタード油などです。
5.不乾性油
 不乾性油は、ヨウ素価100以下であり、空気中でほとんど固形化しません。
 不乾性油の種類としては、アボカドオイル、オリーブオイル(ベルノラン氏のお勧め)、ツバキ油、キャスターオイル(ひまし油)、ココナッツオイル、パームオイル、マカデミアナッツオイル、菜種油、ピーナツオイルなどです。

 さて、邦楽の管楽器の手入れにどのような油が用いられているかというと、雅楽の竹管楽器(横笛、篳篥)では伝統的にツバキ油が用いられています。また、尺八ではクルミ油が用いられているようですが、共に絶対的規範ではなく、現代においては洋楽器用を使われる方もいるようです。
 私は、ベルノラン氏と同様、空気中でほとんど固形化しない不乾性油を良しとしています。そして、雅楽人としては言うまでもなくツバキ油がお勧めです。ツバキ油の主成分であるオレイン酸トリグリセリドは一価不飽和脂肪酸で、極めて酸化しにくいだけでなく、トリグリセリドは人の皮脂の主成分なので肌にも良く、つまり楽器にも演奏者にも適しているのです。
 さらに、ベルノラン氏がお勧めのオリーブオイルの上質なクラスにおいて、オレイン酸含有量が75~79%であるのに対し、ツバキ油は80%を超えるのです。
 上掲画像は、私が現在使用中の「純椿油」(黒ばら本舗製)です。





◆ヴィブラートの波◆

 上掲画像は、ルネッサンス後期のイングランドの作曲家・リュート演奏者のジョン・ダウランド(John Dowland:1563~1626)著となる古版本『THE FIRST BOOK of Song or Ayres foure parts with Tableture for the Lute.』の表紙です。(初版は1597年で、これは1600年の第2版。)
 レイマンである私が、ディスカント・ルネッサンス・フルートに興味を持っただけでなく、実際に演奏しよう思い立った動機は、ダウランドの美しくも悲しい曲に出会ったからです。
 ところで、ダウランドの歌曲では、ほとんどの歌手がヴィブラートを用いて歌唱します。ではその当時、ルネッサンス・フルートではヴィブラートを用いていたのでしょうか。
 前田氏は、前掲書の「ヴィブラート」の項において、次のように書かれています。
 「ルネッサンス音楽が演奏された教会や貴族の屋敷はたいがい石造りで、紙と木でできた日本家屋に比べると、ずいぶんと長い残響を持っています。いつもそのような場所で歌っていたルネッサンスの歌手は、ノン・ヴィブラート唱法だったに違いないと考えられています。(中略)ルネッサンス時代の器楽演奏が目指したのは、歌の模倣でした。ですから歌手がつけなかったヴィブラートを器楽奏者がつけたとは考えにくいのですが、実はそれに反するような印象を与えざるを得ない記述もあるのです。アグリコラは1529年に出版した『ドイツの楽器』のフルートの項でこう言っています。「もしあなたが基本を学びたいのなら、すべての管楽器の音楽に優美さを与える、ふるえる息を学びなさい」。さらに1545年の改訂版ではこうも言っています。「演奏ではポーランドのヴァイオリンのメソードで教えられているような、オルガンの装飾の一つにあるような、ふるえる息で吹くことが望まれます。しかしこれはドイツでは、めったに使われてはいません」。この二つの文章は何を意味しているのでしょうか。「ふるえる息」がいわゆるヴィブラートを指しているであろうことは想像できます。」(P.59~62)
 まず、大前提としてドイツ、ポーランドの隣国でも音楽的状況が異なるのですから、全ヨーロッパを一義的に語ることなどできないだけでなく、300年近くも続いたルネッサンス期において、全く変化を生じなかったなどということは考えられません。
 『ドイツの楽器』の初版発行となる1529年から改訂版発行の1545年の16年間で、「ふるえる息を学びなさい」が「ふるえる息で吹くことが望まれます」と記載が変化しており、換言すればヴィブラート奏法を、学ぶだけでなく実践するようにとステップアップしているのです。
 前掲のダウランドの楽譜の初版発行が、『ドイツの楽器』の改訂版発行から半世紀以上も後であることを考慮すると、ヴィブラートの波は確実にイングランドに届いていたと考えられます。
 ましてや、教会音楽でも、宮廷音楽でもないダウランドの世俗曲の演奏となれば、ヴィブラートを付与して演奏したと考えるのが、至極当然なのではないでしょうか。





◆ルネッサンス・フルートの装飾的奏法とは◆

 上掲画像は、1520年頃に描かれ「音楽を奏する貴婦人達」(オーストリアのローラウ城伯爵家蔵)と題されている絵ですが、通常はこの絵のように楽譜に忠実にルネッサンス・フルートを演奏することが基本となっていたことは、想像にかたくありません。
 では、ルネッサンス期においては、装飾的な奏法が行われていたのでしょうか。また、行われているとしたら、どのような奏法だったのでしょうか。
 その答えを探るべく、ハンス=マルティン・リンデ氏(Hans-Martin Linde)著の『古い音楽における装飾の手引き(Kleine Anleitung Zum Verzieren Alter Musik)』(1958)を紐解いてみます。
 本書序章の「古い音楽における装飾」の冒頭に、次のように書かれています。
 「《装飾》という概念のもとでは、どういうことが理解されるべきであろうか。14世紀から19世紀に至るまで、《装飾》という語に対して使われているさまざまな表現(Manieren, Ornamente, Coloraturen, Agréments, Graces, Fioriturenなど)と同一視されている言葉《分割Diminution》が、私たちの問に明瞭に答えてくれる。つまり、《分割するdiminuere》とは《細かく砕く》という意味である。」
 まず、ルネッサンス期において装飾的奏法が存在していたことは、本書を引用するまでもなく、論を俟たないところです。そして、その装飾的奏法がドイツ語のDiminution(分割)であると記されています。
 また、『標準音楽事典』(音楽之友社刊)では、「装飾」の項に「演奏上の装飾は、(中略)16世紀以後のdiminutio(音符の細分)の手法が重要である。」(角倉一朗記)と位置づけられています。言うまでもなく、ラテン語のディミヌツィオ(Diminutio)はドイツ語のディミヌツィオン(Diminution)に相当します。
 クラーク氏マークウィック氏は、前掲書のディミヌツィオに関する項である「Articulation for Quick Diminutions」において、デセンディング(Descending)、すなわち下行音階による前打音奏法、およびアセンディング(Ascending)、すなわち上行音階による前打音奏法が、共に7種類示されています。
 7種類とは音階前打音が1つから7つまでのことであり、16分音符で記譜されています。
 さて、ルネッサンス・フルートで、ルネッサンス期の楽譜を演奏する時、時代性を考慮せず現代的な装飾的奏法を駆使するということに違和感を禁じ得ないのは私だけでしょうか。
 前述のとおり、前田氏は「ルネッサンス時代の器楽演奏が目指したのは、歌の模倣でした。」と書かれています。ですので、時代考証を大切にしたいディレッタントとしては、装飾的に演奏する場合、基本的なディミヌツィオに留め、古風で素朴な演奏とすることが理想と考えています。




上がスタンレー氏作のテナー・ルネッサンス・フルート。下がディスカント・ルネッサンス・フルート。(私用管)

◆適応調の考察◆

 もとより、雅楽神楽笛との類似性から奇妙な縁を感じ、恋してしまったディスカント・ルネッサンス・フルートですが、ルネッサンス・フルートのコンソート、つまりディスカント、テナー、バスの3種のルネッサンス・フルートによる演奏以外に出番がないようです。
 しかし、現代のルネッサンス・フルートのコンソートでは、テナー2管にバスの編成で演奏されることが多いようです。
 さらに、YouTubeで調べてみても、ディスカント・ルネッサンス・フルートの演奏をアップしているのは齊藤舞歌氏のたった1件のみで、しかもトークのなかでの紹介程度の扱いです。また、類似するアルト・ルネッサンス・フルート(Alto renaissance flute in G)についても、Alexis Kossenko氏、Na'ama Lion氏の2件のみのようです。
 言わば、現代においては不要となり忘れ去られた笛、それがディスカント・ルネッサンス・フルートなのでしょうか。
 この現実を知って、ますます恋心は強くなるばかりで、となれば大好きなジョン・ダウランドの曲を移調して演奏することに、些かの憚りもなくなります。
 そこで、A管のディスカント・ルネッサンス・フルートの演奏に適した調を考察してみました。

1.基本音階
  ト長調⇒ホ短調)
  ニ長調⇒ロ短調
2.変化記号+1
  イ長調⇒嬰ヘ短調
  ハ長調⇒イ短調
3.変化記号+2
  ホ長調⇒嬰ハ短調
  ヘ長調⇒ニ短調

 「フルート属の基本的運指で低音域が演奏できる音階」を、ルネッサンス・フルートの基本音階と定義しました。それが、1.のト長調とニ長調の2調です。
 この1.の2調の音階の1音に臨時記号を加えたことにより形成される音階が、2.のイ長調とハ長調の2調です。
 さらに、この2.の2調の音階の1音に臨時記号を加えたことにより形成される音階が、3.のホ長調とヘ長調の2調です。
 これらの6調であれば、ディスカント・ルネッサンス・フルート演奏の許容範囲と言えますが、これ以上に臨時記号がつく音階だと演奏が難しくなります。(December 19, 2023)


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